昭和48年6月23日 月次祭
中村良一
ま、御理解に、此の方金光大神が、天地金乃神より、おかげを受けたことを話にして聞かすのぞと。疑うて聞かぬものは、せんなし、ね。また、時節を待って、おかげを受けたが良かろう、と言う御理解がございます。教祖、生神金光大神様が、天地の親神様から、おかげを受けられたことを実行なさり。そして、日々が、有難い、勿体ないの生活に入られる。その、有難い、勿体ないという生き方を、私共に、話にして聞かせてくださる。そこで、えー、ここでは、私が、その教祖金光大神様が、教えてくださったことを、ね。一生懸命に行じさせて頂いて。一生懸命に修行させていただいて。そして、私が、おかげを受けておることを、ね。皆さんに、聞いて頂いて、聞いてもらうのです。
ですから、言うことを聞かぬ者は仕方がない。疑うて、聞かぬなら仕方がない。いうならば、ここでは、目で見せて、耳から聞かせるという。私自身が、おかげを受けて、ね。そして、皆さんに、見て貰うて、こういう心の状態になれば、こういうおかげが受けられるんだぞと。教祖は、そこのところを、こう教えておられるから、私もそこを、泣く泣くでも、それを、そうさせて頂いておったら、こういうおかげを頂いたという事になるのです。ね。
昨日、ほんに、北野教会にお参りをなさる竹野さん。ここの、御神殿をなさった、いわゆる、何というですかね。この、お宮専門の大工さん。親子四人ですか、息子さんたちが、大工三人、それにお父さんが、今度、お国から、何か、褒賞を受けられた。全国で、十八人と言う。という様なその、いうなら、名誉の家である。もう、代々から、金光様のご信心をして居られて、金光様のお宅の御神殿も、その方がなさったという方なんです。そういうご縁がありまして、時々、ここへその、三番目の息子さんが、お参りして見える。二人の中に、子供さんが無い。それで、どうでもひとつ、子宝に恵まれたいというのが、お参りの始めでしたが、段々、おかげを頂かれて、この頃はもう、ここでの御理解が、もう有難い。久留米に行くときには、行きがけに寄って、また、帰りにも寄って、御理解を一口でも頂いて行こうという様に、熱心におかげを頂いておる。昨日、私、午後、奉仕をさせて頂いておりましたら、えー、先生、今日はあの、ゆっくりお話を聞いていただきたいと思うて、お願いをさせて貰いたいという訳です。良いですよ、ゆっくり、どうぞお話ください。それで、長々とした、色々のその、もう、十何年も前の話から、ずーっと、なさいました。今日に至って、様々、持っておられる難儀な事について、お届けがございました。
どうも、どこでお願いしても、すっきりと致しませんから、先日から、その悩みを持って、御本部にお参りになった。そして、今の金光様に、その事をお取次ぎなさいました。そしたら、初めて、お書き下げと言うものを頂いた。そして、金光様のお言葉にです。ね。ご都合を受けられますようにと言うお言葉が下がった。有難い。はぁ、もう、お言葉を頂いて、お書きさげを頂いて、有難いと思うて、あーた、下がってきたところが、どっこい。あの、お都合を頂かれますようにという事は、どういう事であろうかという事が、今度は、分からなくなってきた。ご都合を受けられます様に。そしたら、来る日も来る日も、その事を、考え続けさせていただいて、その事を、分らせて頂こうと、神様にお願いをして休ませて頂いた。そしたら、昨日、一昨日、朝方、それは、不思議な不思議な、身が縮むよう直夢を頂いたと言うのです。ね。それが、私が、どっか、分かりませんけれども、教会にお参りをさせていただいた。ところが、そこは、不思議な事に、御結界が左のほうにある。こら、全国、沢山の教会がありますけれども、右と左に、両方にあるというところは、ここだけです。
始めは、ここは、左ばっかりでした。毎日、三百五十名からの、お届けがあるようになったら、右左を使えというお知らせを頂いて、三百五十のお届けがあるようになった時から、この、両サイドに、いうならば、普通並みに、右の方にも。こら、朝の御祈念やら、お月次祭の時には、やっぱ、両方でさしてもらうから助かるんですよね。それでもやっぱり、お取次ぎが終わるのは、朝は、やっぱり、八時までかかります。ね。と言うように、ま、両方にこうして、お取次ぎの場がある。しかもこの、左にあるというのは、ここだけです。お参りをさせて頂いたら、左のほうに御結界がある。そして、ふっと、こうやって見ると、御結界に、亡くなられた、三代金光様が、お装束をお着けになって、お座りになっておる。はぁ、もう、勿体ないと言うてね。もう、それこそ、狂句感激して、そこに、頭を下げて、今度は、頭を上げたら、何と、合楽の親先生が、紋付袴を着けて座っておられた。もう、いよいよ、びっくりした。と言うところで目が覚めた。はぁ、これは、現、金光様が、ご都合を頂かれますようにと言うて下さった。はぁ、有難い、勿体ないで帰ってきたけれども、実際、ほんなら、ご都合を頂きますという事は、どのような事であろうかと、思いに思うたけれども、分からなかった。これを、解明してくださるのは、合楽先生の以外には無いと思うて、実は、今日は、お参りさせていただいて、前々からの、様々な問題を、難儀な問題、いろんな問題をお届けになりました。ね。その、有難い問題の、その、神様のご都合でありますという事がです。ね。教えるという訳にはいけない。これは、銘々が分からなければならないこと。ね。だからその、分からせて頂く道を、合楽では、説いて下さるという事になるのです。ね。はぁ、神様のご都合であったと、しかもその、ご都合であったという事は、より、私共に、力も与えて下さろう、信心も詳しゅう、分からせて下さろう、ね。お徳も下さろう、おかげも下さろうとするご都合以外には、なかったという事である。ね。そこが、分からせて頂くために、お互い、日々、信心の稽古をさせて頂いて、信心する者は、肉眼をおいて、心眼を開けという様な信心に向かって進んでいくのであります。ね。
私が、昨日、その方に、ちょうど、私が、ここで、色んな事を頂いて、それをメモして、し終わったところに参りましたから、私がそれを、白紙に書いて渡しました。もう、大変喜ばれて、早速、これを一つ、あの、表装させて貰うてから。しかし、それは、見とっただけでは、大変、難しいことだから、分からん事ですよと。ね。それは、大変難しいことですけれども、それを、みやすう分かるというか、身に着けていく道を習いに来なければいけません。と言うて、ま、渡した。ちょうど、西岡先生が、そこにおりましたから、西岡先生が見てから、いやぁ、先生、私も、一枚書いてくださいと、こう言う。書いてくれと言うて、なかなか、そんなに、その、だからまぁ、折があったら、書いてあげようと、私は思うておったら、今日、それを、何とはなしに書く気になったから、書いて、西岡先生が、ちょうど、御結界奉仕をしておる時に、それを書いて差し上げました。それをもう、それこそ、再三、再四、もう、それこそ、繰り返し繰り返し、読ませていただいて、まぁ、何と言う素晴らしい事であろうかと言うことでありました。ね。
それにはね、こういう事を書いてありました。お互いが、信心をさせて貰うのは、ただ、いわゆる、おかげを頂きたいじゃなくてから、信心を頂きたいという事にならなければいけないと、何時も申します。その信心もです。いわゆる、本当の信心、真の信心を、一つ、分からせてもらおうという願いを立てなければ、何時まで経っても同じ。手は上がらんですね。本当だと、ただ、おかげおかげという事が目的であっては。おかげはもう、第二のもの、枝葉のもの、ね。だから、真の道を体得するにはね、我情我欲を振り捨てて、物に執着せず、人に執着する心を取らねば、人の本性を失い、ついには、真の道を見失い、神徳の中にある実感も生まれてこん。恐ろしいのは、執着心である。自分を捨てたものの住む世界は、無限に広い世界でありますという事である。もう、大変な、難しいことなんですよね。我情我欲を振り捨てると言うことだけでも難しい。ましてや、執着心を捨てるなどと言うことはもう、大変に、難しいこと。
何千年の昔から、あらゆる、宗教を志した人達がです。ここのところの、一事に、焦点を置いてるんです。我情我欲を振り捨てる。執着、物にも人にも、一切のものに、執着心を放す。ね。そこの、執着心が離れずに、我情我欲が取れずにです。中途半端な事になって、または、外道に落ちたり、ね。または、破壊の、破戒僧なら破戒僧として、浮かばれない生涯を、または、送ったりしておるわけであります。実をいうたら、こら、そんなに難しい事なんです。ね。真の道を体得するには、先ずは、我情我欲を振り捨てなければいけない。なかなか、振り捨てられない。ましてや、物に執着せず、人に執着するような心というものは、もう、実に難しい。ね。
そこでです、私は、今日は、マルショウの方達が沢山お参りしておるようですけれども、あぁいう、小さい時からです。その、やはり、稽古をしなければ駄目だという事です。ね。それには、最近、私が申しております、腹を立てず、愚痴を言わず、ね。欲をせずという、この三つが、お互いの生活の中から、生き方の中から、取れた時に、初めて、人間は、幸せ、言うならば、極楽の世界というのは、そういう境地にしか無いのです。有難いですね。腹を立てんで済む私。愚痴、不足を言わんで済む私。ね。欲をせんで済む私。欲があるから、腹立ちがあるから、愚痴不足があるから、世の中は、いわゆる、快適ではない訳です。ね。今日は、初めて、ここの冷房が入りました。本当に快適です。暑くもなからなければ、寒くも無い。ね。そういう、快適な日常生活というのは、私共の生活の中からです。腹立ちとか、ね。または、愚痴不足とか、ね。それを言わんで済む心を、神様に向けていかなければならない。
私が、十一二歳だった、もう、そこは、はっきり分かりませんけれども、ね。私はもう、子供の時に、いっぱい、しもやけがある。もう、手にも足にも、いっぱい、しもやけがする。こんな傷は、全部、しもやけです。しもやけの跡です。それは、ある冬の寒い、それは、ちょうど、元旦祭の日であった。それだけは覚えておる。ずーっと、廊下に並んで、講堂に入るのに並んでおった。それを、向こうから、一生懸命、走ってきたのが、もう、その、走るとが止まらずに、私に、ボーンと突き当たった拍子に、私のその、しもやけのところを、嫌と言うほど踏んだ。ね。そん時に、私の心の中に、いわゆる、ひらめいたものです。私のあの、池尻の方の爺は、もう、大変な、仏教の信者でした。もう、大根の虫でも殺さんと言うほどしの人でした。もう、殺生は、全然しませんです。それが、その、爺が、私にね、その言うておりました事が、総一ちゃんや、もう、決して喧嘩どんするな、ね。もう、石どん、くらせられたっちゃ、ね。なまんだぶ、なまんだぶと言いよると、ようなると言う。私は、そういう稽古を、子供の時から、してきたように思うんです。もう、それこそもう、振り上げて、叩き返そうごとあったけれどもです。それを、思い出したというか、心にひらめいた時に、なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶと言うた事を覚えておる。そしたらね、涙が、ぼろぼろ流れる。それは、今から、考えてみて、決して、痛いから涙が出たじゃなかった様に思う。そういう、痛い思いをさせられた時にです。ね。相手を叩き返すような心ではなくてです、ね。なまんだぶ、なまんだぶ、なまんだぶと、言うならば、心を仏様に、神様に向けるという事。その事を、実行しておることを、天地の親神様が、感動ましましたんだなぁ。あの時の喜びはと言うふうに思うのです。ね。ですから、腹を立てんで済む世界。愚痴不足を言わんで済む世界に住むと言うこと。それが、やはりです。ほんなら、一朝一夕にして出来ることではない。やはり、稽古だ。ね。その上に執着心を取るといったような事は、もう、いよいよ、これは、金やら物やらではない。ここに、私は、人に執着する心ですらが、いけないといっておる。
私は、今日、改めて、それを、自分で思わせていただいたんですけれども、ちょうど、去年の今日、私の姪であります、椛目の康子が亡くなりましたのが、ちょうど、一年前でございます。ね。私は、一年になりますけれども、もう、その、何と言うでしょうか。もう、それこそ、悲しいという涙を、一滴も流しませんでした。こりゃ、皆さん、本当に、そうなんです。そらもう、自分の子供じゃなかけん、姪じゃから。もう、実を言うたら、あれは、子供以上に、私が、可愛がってるんです。もう、あの、愛子と、双子のようにして育てておりますから、ね。私の事を、父ちゃま、父ちゃまで、育っておりますから、ね。それがね、それは、例えば、亡くするとか、分かれるという事が、悲しくないはずはないです。けれどもね、その、今日の御理解じゃないけれども。神様のご都合に、間違いは無いという事を、分かっておる、有難さのほうが、悲しい事よりも、大きいからなのです。ね。言うならば、肉眼をおいて、心眼を開かせて頂いておるおかげでです。それが、どういうご都合であるかが分かるからなのです。悲しいことが百ならばです。有難い事が二百ですから、これで、かき消されてしまう。心は、いつも、平生心である。ね。
今日も、私共親子で、お祭りを奉仕させて貰うた。それで、いつも、済んだら、挨拶代わりに、色々頂いたことを、皆さんに、聞いてもらうんですけれども。今日は、私は、話をせずに、二階で、内々の者だけに話した。と言うのは、話したところでです。それは、いわゆる、真実性を欠くからです。ね。それは、言うて聞かせても、ほんなら、分からないからです。と言うのは、どういう事であるかと言うとね。あれは、学名は、帰去来と言うでしょうか。ここ辺では、イドラん葉と言います。お饅頭を包む奴です。イドラの葉が、こういっぱい、桂のように付いてる。それにあの、赤い実がなりますよね、あれは。お花なんかに、よく使われるものです。山に野生する植物、ね。帰去来。ね。どういうことだと思いますか。
なるほど、あれには、いや、いげがこう、じがじがします。じがじがするを感ずるという事はです。それは、悲しいとか、ね。または、腹が立つとか、様々な、色んな、いわゆる、難儀と言うことです。けれども、赤い、つぶらな、真っ赤な実と言うのは、いわゆる、心に、生き生きとした信心を、いわゆる、熱情を傾けるという事なんです。または、赤い玉と言うのは、いわゆる、真心を傾けると言うことなんです。ね。例えば、一年間の間に、池尻の妹、また、婿でありますところの、勝美さんなんかの、私は、今日、あちらに行ってから、本当にこの、家は神ながらに建った家じゃが、もう実に、神ながら。もう、一部屋一部屋、一遍通り、ぐりっと回って見ても、何と言う、使い勝手の良いふうに、家の出来とるじゃろうか。一番最後に、勝美さんと康子の部屋であった部屋に、まぁだ、そのままにしてあります。部屋に入らせて頂いて、いわゆる、本当に感動を覚えた。と同時にです。あの、勝美さんの机の上にね。他は、何にもないけれども、額に、辛抱することと書いたのが立ててある。初めて、涙が流れた。これは、私は、康子が亡くなって、悲しいというのじゃなくて、感動した。一生懸命、精進しておる。辛抱しきらんようなところもあろうけれども、辛抱すること。私が、書いてやったものだ、ね。で、それを、額の中に入れて、辛抱すること。何事も辛抱することと言う、その事をです。見た途端に、感動しました。ね。それこそ、耐えられないほどの、悲しいこと、苦しいことがあったに違いはございません。ね。けれども、そういう、例えばほんなら、苦しい、じがじがではあったけれども、赤い玉のような、いわゆる、真心を、神様へ向けての信心をさせて頂いて、いわゆる、帰去来である。帰去来と言うのは、ね。行って帰ると。もう、絶対、亡くなるという事はね、もう、どこへ行ってしもうたか分からんと言うことでは、決して無いと言うことです。魂の世界と言うのが、ね。その、魂の世界から、いよいよ、力も受けられる、修行も出来れば、または、ね。いわゆる、遺族の者の上にの働きかけが出来るほどしの力も頂けれる。行ったり帰ったりが出来るほどしのものである事を、信じ、分からせて頂くと言うこと。ね。イドラの葉と言うのは、あれは、饅頭を包むものです。饅頭と言うのは、まぁ一つ、万に寿と思うて下さい。万の寿と言うことは、私共が、願うても願うても、やまない、いわゆる、おかげの世界の事なんです。その、おかげをね、いわゆる、包むもの、おかげの受けものを作らせて下さったんだと言うことです。
ですからね、言うならば、お礼を申し上げることは無い。例えて言うとです。私は、スマヨと勝美さんを前にしてから、二回で、済んでしもうてから、お話をしたことでした。例えば、ほんなら、私がね、二十数年前に、あの、大作が亡くなった時に、戦死の広報を受けた時に、八月十五日の、終戦であるというのにです。七月三十日、もう、十五日、生きておったら、無事に凱旋が出来ておったのに。神様、その十五日と言う日が、何とか出来ませんでしたか。無事な凱旋を祈りこそすれ、こういう悲惨な、悲嘆なと、まぁ、思いましたけれどもです。ね。もう、それは、もう、束の間のものであって、これは、深い深い、神様の御神意、ご深慮があるに違いはないから、その、御神意を分かろう。そのご深慮の深いところを分からせていただこうというのが、私は、その月から、御本部月参りを始めたんです。そして、いつもお話しますような、大変なおかげを頂いて帰った。御神徳とは、こんなものであろうかと思うような感動を頂いて帰らせていただいた。ね。ですから、ほんなら、現在、合楽が、このようにおかげを受けておるのもです。大作さん、あんたの、あの戦死が、元であったぞと、いつも、お礼を言うておるように。本当に、康子さん、あの時は、目の前が真っ黒になるように思うたけれども、あれが、こういう様な、池尻家の、大きなおかげを頂く元になった。万寿を包むところの元を作ってくれたのは、あんたであったと、お礼を申し上げれるようなおかげを、これから受けなければならないよと言うて話したことでした。だから、それを、例えば、亡くなったつが、おかげおかげと言うた分では分からないけれども。神様のご都合が分かると、それが、おかげであることが分かってくる。ね。そこで、私は、例えば、今日、改めて気付かせていただいたのはです。私は、ほんなら、最愛の、例えば、姪を亡くしました。けれども、私が、人に、ね。少しもと言うと、これは違うかも知れませんけれどもです。ね。人に対するところの、執着と言うものが、無くなっておる事に、改めて気が付いた。
この頃から、若先生達が、親子三人で東京へ行った。帰りは飛行機で帰ってくるち言う、ね。あらあの、ひょっとしたら、飛行機が落ちどんせんじゃろうかといった様な事を、最悪のことを感じるものですよね、みんなが。だから、どうぞ、飛行機が落ちませんようにという訳なんですけれども。私は、私もやっぱり、そんな事を、今日は、あちらを何時に発って、何時にと。だから、お願いもさせてもらう。ね。けれども、私が、次の瞬間に安心するのは、無事に帰れると思うから、安心するのじゃないです。途中で、例えば、飛行機に事故があって、ほんなら、親子三人が、ね。お骨になって帰ってきてもです。私は、驚かんだろう。いわゆる、対するところの執着心と言うものは無いだろうと思うから、安心なのです。
ままよとは、死んでもままよのことぞと。これなんです。ね。そういうものがです。何時の間に育ち。何時の間に、私の心の中に頂けてきたか。ね。それはです、私が、この、これを用紙に書いて、竹野さんにお渡ししました時に、これは、それこそ、何千年の昔から、あらゆる、宗教家達が、ここんところに焦点を置いて、先ずは、自分が極楽に行く。自分が、先ず、助からなければという精進をするためには、先ず、まぁ、金光教的に言うと、我情我欲を振り捨てて、同時に、物に執着するという心を取り除く、取り去らせていただくと言う所にあるんだと。一生がかりで出来て、出来なかったという、いうならば、宗教を目指す人が、沢山あるであろうけれども、合楽の場合には、これがね、もう本当に、見やすう、見やすう、十年経ち、二十年経ちするうちに、何時の間に、こう言う、物に執着する心が無くなっておったであろうか。どうして、腹を立てんで済むような、不足を言わんで、愚痴を言わんで済むような私に、なれておったであろうかと思うほどしに、おかげを頂いておる。ね。
どんなに暑かっても、冷房が入っておれば涼しい。どんなに寒かっても、暖房が入っておれば暖かい。いつもが、春のような気持ちでおれれるという事はです。その暖房が、または冷房の、いわば、施設をする修行が、日頃に出来て来とったという事です。一遍に出来る事じゃない。けれども、それをです、合楽では、実に、こういう大変な事を、どういうことで、お互い、分からせられるかと言うとです。ね。いわゆる、神様任せという事は、親先生任せであると分かることだという事。ね。だから、右が良いと思うておるけれども、親先生は、左と仰った。という時には、もう、自分の我情もなからなければ我欲も無い姿なんですよ。ね。はぁ、親先生が右と仰るから、そういう、我情我欲を取らせて頂くという事がです。ね。または、執着心を取るという様な事がです、ね。如何に有難いことかと、次の、もう次の瞬間から、ね。任せるという事が、このようにも、有難いもんだ。そして、それが、ね。なるほど、こういうおかげを頂くご都合であったという事が分かるのです。それを、一年二年、繰り返し繰り返ししていってるうちにです。なるほど、神様に任せられる、素直な心を頂いて、ね。もう、一切を任せきる生活。そして、私共は、様々な、勿論信心修行させていただいて、ね。任せれる心を受けるという事がです。我情我欲を取るという事が、こんなに楽な事かという事が分かるから、取らなければ、馬鹿らしゅうなってくる。腹を立てては、損だという事が分かってくる。愚痴どん言いよったんじゃ、おかげに傷が付く。いや、傷が付くぐらいなら良いけれども、おかげが、向こうのほうへ、回れ右していくのです。という事が分かるんです。ね。ですから、嬉しゅう、楽しゅう、少しづつ、我情我欲を取っていくところの稽古が出来ていく。ね。そして、自分を捨てたものの住む世界。私と言うものを、もう、捨てた世界。それを、今日は、西岡先生は、人間性を無くするという事を言ってましたけれども、ね。普通では、そうじゃないです。信心で言うに、それは、いかにも人間性を、我情も言わん、我欲も言わん、腹も立てん、愚痴も言わんち言うなら、人間じゃなかごたるけれども、金光様のご信心ばっかりは、私共の心が、そのようにしてです。和賀心が神に向こうていくという事が、信心なのですから。ね。いわゆる、無限に広い世界に住むことが出来ると言うことはです、ね。お財布の中には、いつも、必要な金だけが、幾ら出しても出しても、使うて減らぬ金百両というおかげが受けられると言う事なのです。金だけではありません。一切のことがそうなんです。人間の幸せの条件の、全てが、そこに足ろうて来るのです。だから、そういう大変な、いわば、修行を焦点にして、お互いが信心をさせていただくという事がです、ね。おかげを頂くという事よりも、信心を頂けという事になるのです。そしてね、自分ながら、何年前の自分を思うた時に、どうしてこんなに、楽になっておるだろうかと気付かせていただくほどしに、おかげを頂いていくならばです。もう、いよいよ、死ぬるまで、この事に取り組ませていただくということになったら、信心が、いよいよ、楽しい事になるんですね。
言うならば、どんな場合であっても、神様のご都合を分からせていただくことが出来ると言うこと。だから、神様のご都合を頂くということ。ね。それをね、私は、今の合楽でならばです。その稽古が、誰でも、見やすう、ね。しかもそれを、目の前に見せて、聞かせて、分からせてもらえる事が出来るのだけれども。言うことを聞かぬ子供は、親でも仕方があるまいがと、今朝からの御理解のなかにもあります様に、ね。それを、聞いただけで、実行しなかったら、仕方がない。はぁ、あんたどんは、何年信心しよるのち言う様な時があるけれども、ね。そういう時に、本当に、この頃、私は、悲しゅうなる。そして、いわゆる、いよいよ、私が助からなければならないな。私が、もっと力を頂かなければならないな。もう、合楽に、十年も、二十年も通うて来よって、まぁだ、そのくらいな事に腹が立つかと、例えていうと、いう様な時があります時にです。私はもう、怒ることよりも、悲しゅうなるです。その人の業の深さに。ね。そこで、ほんなら、もっと、私が助かって、その業の深い、めぐりの深い、その人を、救い助けれる私にならなければならないなと言うことを、もう、思うばかりです、この頃は。ね。
今日、康子の霊祭を仕えさせていただいて、帰去来と言うこと、ね。それから、イドラの葉と言うのは、饅頭を包む、いわゆる、おかげを包むところの、元は、それは、どんなに苦しいこと、悲しいことであっても、そういうおかげにして行かなければならない。私が、ほんなら、弟の戦死をです、ね。今日、合楽があるのは弟の戦死のおかげであるという様に、おかげにしてやらなければいけないのです。ね。だからその、していく道を、合楽では、もう、それこそ、克明にね、もう、それこそ、私が、噛んで、いわば、含めるように、私自身が頂いてきておる。私が、おかげを受けておることを、話にして聞かすのぞという事になるのじゃないかと思うです。どうぞ。